12月7日「わたしがあなたがたを選んだ」

あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。(ヨハネによる福音書15章16節)

社会通念では、弟子が師を選ぶのであるが、今日の聖句のように、私たちが主イエスに従う弟子となったのは、主が先立って私たちを選んでくださったからである。そのことを知って、私たちは主の弟子にふさわしくなくても、その私たちを承知で選んでくださった主に信頼して従う。

主イエスは「あなたがたを世から選び出した」(19節)と言う。主イエスは、神を知らず、希望のない世にいた私たちを選び、神に仕える神の国に導いてくださった。今や「私たちの国籍は天にある」(フィリピ3・20口語訳)。

主イエスは弟子を選ぶ理由を、彼らが出かけて行って実を結ぶためであると言う。国籍を天に持つとは、この世から逃避して生きることではない。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」(12節)という主の命令を受けて、この世に遣わされるのである。

私たちは世に遣わされる時、父から世に遣わされた主イエスに見倣う。主イエスは「わたしは世を裁くためではなく、世を救うために来た」(12・47)と言って、神の愛と救いを世に示すために働かれたが、世は主を受け入れなかった。しかし、主は決して世を見捨てず、「涙を流しながら、ご自分を死から救う力のある方に祈りと願いとをささげ」(へブライ5・7)、この世におけるご自身の業を成し遂げられた。今、主は人々を神の国に招くために、私たちを選び、世に遣わされる。神の国の宣教はキリスト者の使命であるが、主が涙を流しながら祈られたように、宣教は祈りなしに果せないことを心に刻みたい。

 






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