インタビュー

【インタビュー】新しく牧師になった中島共生さん 自分が与えられたものを分かち合う時、信徒は応えてくれる(後編)

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新しく日本福音ルーテル教会の教職として任命される「教職受任按手(あんしゅ)式」が3日、日本福音ルーテル東京教会(東京新宿区)で行われた。ルーテル学院大学で6年間学び、4月から牧師として遣わされる中島共生さん(30)に話を聞いた。

中島共生さん

──4月からどちらの教会に派遣されますか。

山口県の下関教会、厚狭(あさ)教会、宇部教会へ派遣されます。

──神学校を卒業してすぐに教会に遣わされることに不安はありませんか。

未熟ですが、相談できる先輩の牧師がいるので安心しています。また、信徒の皆さんのほうが教会のことは知っています。何を信徒に相談できて、何はできないかというボーダーラインはありますが、すべて抱え込んでしまうより、恐れずに自分が思っていることを話せ、頼るところは頼るという関係性が作れれば大丈夫だと思っています。

信徒の方々に応えてもらえるかどうかは、自分がどれだけ教会と誠実に向き合っているかなのだと思います。信徒の皆さんはふだんの牧師の行動を見ているので、牧師がどう接しているか、どういう説教をしているか、そのようないろいろなものを積み重ねていくことが大事なのでしょう。

──複数の教会を兼務されるということは、牧師不足の状況があると思います。後に続く献身者を期待されていると思いますが。

教会のティーンズ・キャンプに参加して若い人に接すると、今後、神学生が増える時代が来てもおかしくないと思います。ただ、誰かに勧められて牧師になるというのは危ういと思うので、私は「牧師になったら」と簡単には言えません。もちろん、人に勧められて神学校に入っても、そこで倒れながら転びながら召命に気づかされることはあります。結局、人の言葉は頼りにならず、召命は神様が決めることなのです。私が父から言われた「牧師にならないか」という言葉も、神様から与えられたものだと信じています。

──牧師の責任は大きいですね。

教会の皆さんは説教を「聖書の解き明かしだから」と無条件に聞いてくれますが、本当にそうなのか、牧師自ら問わなければいけません。この作業はずっと変わらないと研修の時に聞いて、本当にそのとおりだと思いました。聖書の言葉に自分の思惑などを入れてしまうと、教会はすぐに立ち行かなくなってしまいます。

牧師はワンマンプレーでは絶対にうまくいきません。牧師は教会そのものではなく、歯車の一つなんですね。

──教会の中でみんなと同じ目線で、一緒に教会を作り上げていきたいという熱意を感じます。

そういう目線が与えられたのは教会実習の経験からです。「教会での決め事は、人の思いに見えても、神様の出来事。そのことに教会員が気づくまで待ってみる」と先輩の牧師から聞きました。確かに、そのように導くことが牧師として必要なのだと思います。

──牧師としてどのようなことを目指していますか。

牧師になって私が何かをするのではなく、遣わされたところで出会う人、環境、場所の中で、牧師としての働きが与えられると思います。

──牧師として何がしたいかではなく、何が与えられるかということでしょうか。

そうかもしれません。

この1年、大学のチャプレン助手を務めたのですが、週に1度、聖書研究会を開くことになっていました。私は聖書を教えるより、学生たちともっといろいろな話をしたかったし、教会に興味がない人に来てほしかったので、毎週お菓子を作っていたんですね。前・後期で30回、30種類のお菓子です。そうすると、最初は少なかった学生が、最後は80人も来るようになって、1年間すごく楽しく、学生とも仲よくなれました。

お菓子を作り始めたきっかけは、ジュースの自動販売機の前で学生が財布を見ながら迷っているのを見たことです。それなら、私がコーヒーとお菓子を出してあげようと。そういうことがこれからたくさんあるはずです。その時その時に自分ができることをできる範囲で考えていけたらいいと思います。

──最後に愛唱聖句を教えてください。

「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである」(ヨハネ15:16)です。神学校に入学した際、恩師から与えられた聖句です。私が牧師となった根拠はすべてここにあると、ゆだねています。

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