「喝采」「北酒場」で2度レコード大賞受賞の中村泰士さん召天、81歳

「喝采」(ちあきなおみ)、「心のこり」「北酒場」(細川たかし)、「わたしの青い鳥」(桜田淳子)など、日本レコード大賞受賞曲なども手掛けた作詞・作曲家で歌手の中村泰士(なかむら・たいじ、本名・泰士=たいし)さんが20日午後11時50分、肝臓がんのため、大阪市内の病院で召天した。24日、所属事務所が発表した。81歳。

 

23日に通夜、24日に密葬として近親者10人ほどで葬儀が行われた。喪主は長男の修士(しゅうじ)さん。新型コロナ・ウイルスが感染拡大していることを踏まえて本人が密葬を希望し、また中村さんはクリスチャンだったため「牧師を呼んで」と希望していたが、牧師はすぐに探せず、中村さんの意をくんで、「24日ならキリストの誕生日になるので」とこの日を選んだという。棺には、愛用したアコースティック・ギターと、何も書かれていない楽譜とペンが納められた。遺骨の横には、中村さんがこよなく愛したウイスキー「グレンモーレンジ18年」のボトルが置かれた。

本人の遺志により、生前収録した故人の声と生バンドがセッションするライブ「中村泰士メモリアルG POP」が来年4月ごろ、闘病中もワンマン・ライブを行ったビルボードライブ大阪で、30~50代の一般ファンに向けて開催される予定。

中村さんが生前行き付けだった大阪市内のバーで24日夜、約17年間マネジャーを務めた所属事務所代表の神田幸氏と、約30年間音楽活動を共にしたアレンジャー・ミュージシャンのかせだあきひろ氏が会見した。

神田さんによると、中村さんは9月中頃に倦怠(けんたい)感、同月末頃に体調不良を訴え、10月に入って「外に出るのもしんどい」と言っていたという。同月上旬の検査で肝臓に腫瘍があることが判明した。肝臓がんを患っており、10月14~29日まで約2週間入院。手術はしなかった。同30日に1回目の抗がん剤治療を受け、11月20日に2回目の治療を受けた。

そうして闘病を続けながら、11月2、3日には大阪市内のスタジオで新曲11曲を収録し、ユーチューブ・チャンネル「中村泰士 G POP チャンネル」で公開していた。転移はなく、一時は医者も驚くほど回復して、同月14日には大阪市内でワンマン・ライブのステージにも立った。そして、16日にSNSで肝臓がんを公表。

今月5日には、最後のステージとなる、大阪港から出港してクルーズ船内でライブを披露。アンコールにこたえて最後に歌ったのが「喝采」。これが最後の歌唱となった。ライブ後に再び体調が悪化し、翌6日に中村さん本人から「入院したい」と申し出があり、そこから2週間後の20日に亡くなった。亡くなる2日前まで会話ができていたが、19日に容体が急変し、20日に事務所関係者と姉に看取られて息を引き取った。

1939(昭和14)年、奈良県北葛城(きたかつらぎ)郡王寺(おうじ)町生まれ。両親共にクリスチャンの家に、長兄と12歳も離れた5人兄弟の末っ子として生まれる。賛美歌が子守歌だったという。6歳の時に歯科医師の父が亡くなり、役場に勤める母に女手一つで育てられた。

57年、18歳で内田裕也と佐川満男のロカビリー・バンド「ブルージーンズ」にボーカリストとして加入した後、歌手としてデビュー。シングルを5枚出したが、まったく売れず、27歳で大阪に帰る。その間、自分で少しずつ曲を書いて楽曲制作を中心に活動するようになり、やがて昭和の歌謡界でヒットメーカーとして活躍。ちあきなおみ「喝采」が72年、細川たかし「北酒場」が82年の日本レコード大賞をそれぞれ受賞した。オーディション番組「スター誕生!」の審査員は、71年の番組当初から81年まで務めた。

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