中村哲さんへの追悼「誰も行かぬなら私が行く」

 

アフガニスタンで働きを続けてきた中村哲さんの葬儀が今日11日午後1時から、故郷にあるユウベル積善社福岡斎場(福岡市中央区古小烏町70-1)で行われる。

中村さんは西南学院中学在学中に日本バプテスト連盟・香住ヶ丘バプテスト教会(福岡市東区、当時は香椎伝道所)でF・M・ホートン宣教師よりバプテスマ(浸礼)を受けた。当時の香住ヶ丘教会はまだバプテスマが行われたことがなく、教会にとって中村さんは最初期の生(は)え抜き教会員だったという。

日本バプテスト連盟・東八幡キリスト教会牧師の奥田知志さん

早くから中村さんと面識があり、現在、福岡でホームレス支援をしている日本バプテスト連盟・東八幡キリスト教会牧師の奥田知志(おくだ・ともし)さんはウェブサービス「note」に7日、次のように書いている。

僕が中村さんから最も影響を受けたことばは「誰もそこへ行かぬから。我々がゆく。誰もしないから我々がする」だった。……この言葉が僕を常に励ましてくれた。

そのほか、日本バプテスト連盟が10日、公式ホームページに中村さんへの追悼文(同連盟の加藤誠理事長名義)を載せた。

私たちは今、その大きな星を失った悲しみに打ちのめされています。しかしながら、イエス・キリストの十字架が人間の罪の暗闇に呑み込まれて終わることなく、復活の命の出来事に変えられて世界中の人々に希望を与えていったように、中村哲さんがご自身の存在すべてを賭けて取り組まれた尊い働きは、平和の源である神のもとで必ずや人々の心を照らし続ける希望に変えられ受け継がれていくことを信じるものです。

日本キリスト教海外医療協力会の畑野研太郎会長

また、日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)も6日、「中村哲医師の御逝去に関する会長メッセージ」(同協力会の畑野研太郎会長名義)を発表した。中村さんは1984年5月よりパキスタンのペシャワールにある「ペシャワール・クリスチャン・ホスピタル」にJOCSから派遣され、1990年5月まで同会派遣医師として働いた。

この世では、もうあのように親しくお話をすることができないと思いますと、復活のときが来ることを信じているキリスト者ではあるものの、本当にさびしさに打ちのめされる思いです。働きの場は違っても、彼の目指した「真に平和な世界」「みんなで生きる世界」の実現に向かって、これからも小さな歩みを続けていくことを願い祈っております。

日本YMCA同盟(神﨑清一総主事)も5日、公式ホームページに「中村哲さんに寄せて」というコメントを発表した。中村さんは九州大学YMCAのメンバーで、学生YMCAから誕生した日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)からのペシャワール赴任の打診を二つ返事で引き受けたという。そして、YMCAの仲間などによって中村さんの活動を支援するためペシャワール会が設立され、その事務局は最初、福岡YMCAだった。

学生時代から、多くの人と関わり、自分自身の弱さと向き合いながら社会の課題に気づき、行動をし続けてきた、大切なYMCAの先達のお一人です。いま、そのバトンを受け継いだ「私たちのこの時」を多くの方と共有し、平和とは何か、地球市民としての私たちの役割は何か、あらためてともに考えることができればと思います。

1921年に西南学院の本館としてウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計した建物(現・西南学院大学博物館)

中村さんの母校である西南学院(G・W・バークレー院長)、西南学院中学校・高等学校(中根広秋校長)も5日、「中村哲先生のご逝去を悼んで」と題する追悼文を公式ホームページに公表した。

若き日に西南学院中学校(1962年卒)でキリスト教に出会い、キリスト者になられた先生は、西南学院とその教育を愛してくださり、ご帰国のおりにはたびたび学院に足をお運びいただき、西南学院中学校・高等学校の生徒や、西南学院大学の学生に現地でのお働きについてお話ししてくださいました。……そのような先生のお働きに感謝し、西南学院はこれからも先生の志を大切にして歩む教育機関でありたいと心から願います。

 

 

 






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