【ロック牧師 関野和寛のアメリカ奮闘記】第3回 コロナ室に羽ばたいた日本の鶴

アメリカ・ミネアポリスのコロナ病棟での病院聖職者として働き出して1カ月が過ぎた。だいぶ慣れてはきたが、やはり今でも部屋に入る前は極限の緊張状態に陥る。1日の感染者が7万人を超え、そして国のトップであるトランプ大統領夫婦さえ感染したしまう状況。油断などできるはずがない。隔離病棟には当然立ち入り厳禁。家族や友人でも患者とは会うことができない。たとえ危篤状況、人生の最後の瞬間であっても下手をすれば会うことができないのだ。そのような密閉空間に持ち込まれるのは医療機器と3食の食事のみ。

身体的な苦しみだけではなく、精神的にも患者たちはこの上ない不安の中で過ごしていている。だがそこにはお花や本などのお見舞い品も厳禁、聖書でさえそこには持ち込むことができないのだ。目に見えない新型コロナウイルスとの戦いの熾烈(しれつ)さを感じる。

そんな中、私は牧師として入っていく。しかも患者たちは日本人である私のことを知るはずもないし、私も彼女、彼らのことを知らない。はっきり言って赤の他人。けれども、医療従事者以外でその中に入れるのは私だけなのだ。私はその人に何を届けられるだろうか。

ある日、私は初老の男性を見舞った。ガラス越しに苦しそうに寝ている。マスク越しに話をすることも聞き取りに限界がある。まして難解な聖書の話や祈りなど、そこではできそうもない。私はコロナ室の中においてあった患者の検査結果のレポート用紙で、折り紙の鶴を折ることにした。男性はずっとその様子を眺めている。やがて折り上がり、無機質な検査結果用紙が鶴となり羽ばたき出した。そっと彼に手渡すと、その瞳から涙が流れ、目を真っ赤にして「私はこれを一生宝物にする。そしてあなたが来てくれたことを絶対に忘れない……」と。

気付けば私も涙が流れていた。お見舞いの品、聖書さえ持ち込めないコロナの隔離病棟。でも、実はそこは天国の入り口と同じだ。私たちが人生の最後の日に、天国とやらがあるとして、そこにはきっと何も持っていくことができない。

あなたが握りしめている財産や能力、しがみついている過去の実績やポジション、その本棚のコレクションやクラウドの中にため込んでいるデータさえ持ってはいけない。だがこの場所で、最悪であるはずのコロナ隔離病棟で「あなたと出会ったことは一生忘れない」と交わした想いは、そこに持っていける気がする。おじさん、俺たち名前も知らない赤の他人同士、きっともう出会うことはない。でも、もし天国とやらがあって、そこで再会したら、私のことを思い出してくれ。

【ロック牧師 関野和寛のアメリカ奮闘記】第2回 日本人牧師、アメリカのコロナ病棟へ初潜入

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