【自民党総裁選】菅氏、岸田氏、石破氏3人のキリスト教との関わり

安倍晋三首相(党総裁)の後任を決める自民党総裁選が8日に告示された。石破茂(いしば・しげる)元幹事長(63)、菅義偉(すが・よしひで)官房長官(71)、岸田文雄(きしだ・ふみお)政調会長(63)の3人が立候補の届け出を行い、三つどもえの選挙戦がスタートした。14日に投開票される。

石破氏がプロテスタントのクリスチャンであることは本紙でも何度か取り上げてきたが、菅氏や岸田氏もキリスト教との関わりはないのだろうか。

 

菅氏は、394人いる党所属国会議員の8割近くを固めて優位な情勢と言われており、地方票(141票)を合わせた全体(535票)でも過半数に達する。

菅氏は新元号を発表したことで「令和おじさん」と呼ばれて一時期話題になったが、普段はきわめて地味な印象だ。血液型はO型。

出身地は、宮城県や山形県の県境に近い秋田県南部の湯沢市で、イチゴ農家の長男として生まれた。最寄り駅は奥羽本線の院内駅だが、線路の反対側の西に、「東洋一の大銀山」とうたわれた院内銀山がある。江戸時代初期には多くのキリシタンが各地から逃れて鉱夫として働き、宣教師たちも伝道のために訪れたところだ。その後、迫害が強まり、殉教者が多数出た。

5歳下の真理子夫人との間に3人の息子がおり、長男は明治学院大学を卒業している。米国長老教会のヘボン宣教師が1863年に創設した日本最古のキリスト教主義学校だ。教育理念は「Do for Others(他者への貢献)」。新約聖書マタイによる福音書にあるイエスの言葉「Do for others what you want them to do for you(人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい)」(7:12)から引用されたもので、ヘボンの信念をよく表す言葉とされている。ちなみに、次男は東京大学、三男は法政大学を卒業しており、三男の中高時代の同級生には、ロックバンド「RADWIMPS」の野田洋次郎がおり、家に泊まりに行くこともあったという。

岸田氏は広島1区選出の、祖父から続く世襲議員。本籍地は広島だが、生まれは東京だ。血液型はAB型。

広島には、毛利氏家臣で三入高松城(広島市)城主だった熊谷元直(くまがい・もとなお)が1687年、黒田官兵衛の勧めで洗礼を受け、洗礼名メルキオルと名乗り、近年、福者となった。安芸広島藩主の福島正則もキリシタンを優遇したが、後に禁令が厳しくなると、キリシタンは衰滅していく。

岸田氏自身とキリスト教との関わりは特に認められないが、7歳下の裕子夫人が広島女学院高校の出身。2016年に創立130周年を迎えた、中国地方では最も歴史の長いミッションスクールだ。創立者は砂本貞吉(すなもと・ていきち)牧師。米国でキリスト教に触れ、1886年、米国南メソヂスト監督教会の宣教師W・R・ランバス(関西学院の創立者)らの協力を得て女学校を創立した。学院聖句は「我らは神と共に働く者なり」(1コリント3:9、文語訳)。

 

3人の息子がおり、今は赤坂の議員宿舎で長男と次男の3人で暮らしている。長男は慶應義塾大学を出て、今は父親の議員秘書を務め、次男は日本大学在学中、三男は都内でひとり暮らし、裕子夫人は広島の実家を守っている。

最後に、石破氏のキリスト教との関わりを簡単にまとめると、次のとおり。

母方の曾祖父が、新島襄の愛弟子である金森通倫(かなもり・みちとも)。熊本バンドの一人として熊本洋学校から同志社へと進み、卒業後は日本組合基督教会・岡山教会の牧師を務めた。金森の妻、旧姓・西山小寿(こひさ)は神戸英和女学校(現在の神戸女学院)の第1期生で、岡山の山陽英和女学校(現在の山陽学園)の創立者の一人。二人の間にできた長男、太郎が石破氏の祖父で、その長女の和子が石破氏の母親となる。

石破氏は、母親が通っていた日本基督教団・鳥取教会(現在は橋原正彦牧師)において18歳で洗礼を受けた(現在も現住陪餐会員)。同教会の宣教師によって始められた愛真幼稚園に通い、鳥取大学教育学部付属中学を卒業後、慶應義塾高等学校に進学。日本キリスト教会・世田谷伝道所(現在の世田谷千歳教会)に出席し、教会学校の教師も務めた。近年は国家晩餐祈祷会(日本CBMC主催)、キリスト教関係の講演会でゲストとしてスピーチに立つことも多い。

石破氏の出身地の鳥取県は、鳥取藩初代藩主の池田長吉(ながよし)の父親、恒興(つねおき)がキリシタン大名で、その家臣にもキリシタンが多かったことから、迫害はあまりなかったという。鳥取教会は、金森と同じ熊本バンドで同志社に学んだ加藤勇次郎が1879(明治11)年、鳥取伝道をしたことがきっかけで、90年、教会が設立された。

 

同い年の佳子(よしこ)夫人との間に二人の娘がおり、長女は女子学院高校を卒業して早稲田大学に入学。市ヶ谷駅に近い女子学院高校は1870(明治3)年、女性宣教師たちによって創設された日本最古の女学校を源流とし、矢嶋楫子が初代院長を務めたプロテスタント長老派のキリスト教主義学校だ。実は佳子夫人も、長女と同じ女子学院の出身。その後、慶應義塾大学法学部法律学科に進み、同級生として石破氏と出会うのだ。次女は豊島岡女子学園高校を卒業後、東京理科大学に進学している。池袋駅に近い豊島岡女子学園高校はキリスト教主義ではないが、「女子御三家」(桜蔭、女子学院、雙葉)に次ぐ「女子新御三家」の一つに数えられている。石破氏の血液型はちなみにB型だ。

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