
【米クリスチャニティ・トゥデイ】牧師の誘惑──罪は目に見えるが、その根...
ヘンリ・ナウエンは著書『イエスの御名で』の中で、イエスがサタンの誘惑にあったことに触れ、現代のクリスチャンの指導者にも同様のことが起こりうると述べている。「石をパンに変えよ」という最初の誘惑は「能力を示すことへの誘惑」だとナウエンは言う。
ヘンリ・ナウエンは著書『イエスの御名で』の中で、イエスがサタンの誘惑にあったことに触れ、現代のクリスチャンの指導者にも同様のことが起こりうると述べている。「石をパンに変えよ」という最初の誘惑は「能力を示すことへの誘惑」だとナウエンは言う。
日本でも『牧会者の神学』『イエスとともに祈る365日』『詩編とともに祈る365日』(日本キリスト教団出版局)、『若者は朝露のように』『信仰の友への手紙』(いのちのことば社)などで知られるユージン・ピーターソンが10月22日、召天した。
私も、「なぜ私なのですか」、「プレッシャーが重すぎます」、「私は牧師の妻にふさわしいでしょうか」と、疑いや不安を覚えることがある。しかし神は、私がプレッシャーを克服できること、「牧師の妻」という決まった型などないことを示し続けてくださった。
レイプ被害者の治療に献身してきたコンゴ民主共和国のクリスチャン婦人科医が、2018年のノーベル平和賞を受賞した。ムクウェゲ氏はペンテコステ派の牧師の息子で、父と一緒に、病気の人々のために祈る旅をしたことがきっかけで医学の道を志した。
私たちは今日、明白な不協和音と戦っている。「もしイエスが勝利しているなら、なぜ私はこんなに悲しいのか。もし神が支配し、被造物を贖(あがな)ってくださるなら、なぜ私は1日が始まる前から希望もなく、疲労困憊(こんぱい)しているのか」
葬儀が礼拝ではなくなり、家族以外をシャットアウトした行事になると、それは個人的な好みの問題へと変質してしまう。葬儀は、亡くなった人がこの世に自分の痕跡を残すために最後に悪あがきをする場となり、神の民が形作られる機会ではなくなってしまうのだ。
「緊急事態だからすぐに来てほしい」と信徒に呼ばれて牧師が行くことは、多くの牧会者にとって仕事の一部であり、最初に職に就いた時点で分かっていたことだ。しかし、このような状態は健全といえるだろうか。さらに重要なことは、これは聖書的だろうか。
トランプ米大統領は、「11月の米議会中間選挙で共和党が負ければ、保守的なクリスチャンは迫害にさらされることになり、一切を失いかねない」と警告した。しかし、「政治権力」をクリスチャンが信仰の対象としてしまうことは、重大な問題だ。
母親たちが必死で家庭と仕事を両立させようとしているこの時代、数字だけ見れば、米国の福音派の母親は子育てに満足しているようだ。それでもなお、全米の福音派の母親たちは、罪悪感や燃え尽き感、子育てのプレッシャーに苦しんでいるという。
私たちがキリストのことを伝えないなら、それは「初めのころの愛」を失ってしまったからかもしれない。あなたのことをイエスがどう思われるかではなく、人がどう思うかを心配する偶像崇拝を捨て去ろう。そして、神があなたを愛しておられることを思い出そう。