「稲川圭三(いながわ・けいぞう)東京カトリック神学院モデラトール(養成者)」 一覧

1959年、東京都江東区生まれ。千葉県習志野市で9年間、公立小学校の教員をする。97年、カトリック司祭に叙階。西千葉教会助任、青梅・あきる野教会主任兼任、八王子教会主任、麻布教会主任司祭を経て、現在、東京カトリック神学院モデラトール(養成者)。著書に『神さまからの贈りもの』『神様のみこころ』『365日全部が神さまの日』『イエスさまといつもいっしょ』『神父さまおしえて』(サンパウロ)『神さまが共にいてくださる神秘』『神さまのまなざしを生きる』『ただひとつの中心は神さま』(雑賀編集工房)。

【毎週日曜連載】神さまが共におられる神秘(105)稲川圭三

神さまが共におられることを告げ、告げられた人が誰かにそれを告げるようになるまで祈ることがイエスさまの命令です。そのことがおできになるイエスさまに信頼して、一緒に生きることが弟子になるという意味だと思います。お祈りをしたいと思います。

【毎週日曜連載】神さまが共におられる神秘(104)稲川圭三

「愛する」とは、その人の中に入って、その人と同じ向きで生きること。「愛される」とは、そのお方が自分の中に入って、自分の中で同じ向きで生きてくださること。神さまが私たちの中にいてくださるだけではなく、その中に私たちもいなければならないのです。

【毎週日曜連載】神さまが共におられる神秘(103)稲川圭三

「父が私の内におり、その業を行っておられるのである」と言われるように、イエスさまは父である神さまと一致して私たちの中にいてくださいます。そのようにイエスさまと一緒に生き、父である神さまと一緒に働く者となることを「信じる」というのです。

【毎週日曜連載】神さまが共におられる神秘(102)稲川圭三

「イエスという門を通らないで入ってくる者は盗人であり、強盗である」と言われています。私たちがイエスの眼差しで生きないなら、しょせん私たちは人を盗んだり、屠(ほふ)ったり、滅ぼしたりする者になってしまうという意味ではないでしょうか。

【毎週日曜連載】神さまが共におられる神秘(101)稲川圭三

神さまが人間をおつくりになった当初、神が共におられることに開かれていたまぶたが、誘惑する者である蛇の声を聞くことによって閉ざされてしまった。これが今日、イエスだと分かって目が「開かれる」ということの前提としてあるものだと思います。

【毎週日曜連載】神さまが共におられる神秘(100)稲川圭三

「取り返しのつかないことをしてしまった」、「もう自分は終わった」と思っても、そのことのもっと奥に神さまが共にいてくださる。戸には鍵がかけてあったのに、その真ん中に神さまが共にいてくださるという真実が立ち上がってくる。これが「復活」です。

【毎週日曜連載】神さまが共におられる神秘(99)稲川圭三

私たちは、「人は死んだらそこで終わってしまう」という勘違いに縛られています。週の初めの朝早く、マグダラのマリアが墓に行ったとき、墓から石が取り除けてありました。それは、その人ともう出会えなくなるという勘違いを神が取り除かれたしるしです。

【毎週日曜連載】神さまが共におられる神秘(98)稲川圭三

イエスさまは受難を忍耐されました。「忍耐」という言葉はギリシア語で「ヒュポ・モネー」で、「そこに留まる」という意味です。イエスさまはご自分の内にいてくださる父である神さまの真実に留まり、人の中におられる父である神さまの真実に留まった方です。

【毎週日曜連載】神さまが共におられる神秘(97)稲川圭三

愛する亡くなられた方々のいのちを、「天国」と名前はつけているけれど、自分たちとは関わりのないところに置いているのであれば、イエスさまはそのいのちとの出会いを封じている石を「取りのけなさい」と言われ、出会いの場所に取り戻してくださるのです。

【毎週日曜連載】神さまが共におられる神秘(96)稲川圭三

イエスによって肉眼の目が見えるようになったというのは「入り口」です。ゴールではありません。今日の物語は、生まれつき目が見えなかった者の目を開いてくださったお方が誰なのか、そのお方に出会っていく物語です。

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