「賀来周一(かく・しゅういち)」 一覧

1931年、福岡県生まれ。鹿児島大学、立教大学大学院、日本ルーテル神学校、米国トリニティー・ルーテル神学校卒業。日本福音ルーテル教会牧師として、京都賀茂川、東京、札幌、武蔵野教会を牧会。その後、ルーテル学院大学教授を経て、現在、キリスト教カウンセリングセンター理事長。

牧会あれこれ(7)賀来周一
人生を変えることのできるものがある。それは己の決断の仕方である。そのためには、変えることができるものは何であるかを〈知る〉ことから始まる。そして、起こったことを知れば、〈耐え忍ぶ〉時が過ぎる。時間は急ぐためにあるのでなく、待つためにある。
牧会あれこれ(6)賀来周一
ある日、教会でこの婦人に話しかけている青年がいた。「信仰とは何でしょうね」。すると、「そりゃー、あーた、自分より偉(えら)かもんば持つこったい」と熊本弁での返事が聞こえてきた。言い得て然(しか)り、ポンとヒザを打ちたくなる感じがした。
牧会あれこれ(5)賀来周一
もはや治る望みはないが、信仰があれば病気が治ると信じたい。生身の人間としては、もっともな願いだ。けれども、その願いは叶(かな)わず、死がやって来る。その現実を受け入れることが恵みである。彼女はそう告白して、そのひと月後、天国へと旅立った。
牧会あれこれ(4)賀来周一
今日、教会は高齢者を多く抱えるようになった。「する、できる」ことに評価の重点を置くこの世で、「役立たず」とレッテルを貼られてまで生きていたくないのが本音である。。しかし教会は、「いること」だけをきわめて良しとする世界を持っている。
牧会あれこれ(3)賀来周一
牧師がどのように人のニーズに対応しているかを、人々は身近なところで感知する。そして、牧師が相手に誠意をもって接しているか、公平であるかなどを、言葉の端々や何気ない振る舞いの中に見て、自分自身と牧師の関係はどうなのかを自分で判断する。
しばしば信仰に生きているつもりでも、日常の中では、世の中にも自分にもいささか妥協気味に生きていることがある。そのような時に、「信仰において譲らず、愛において譲る」というルターの言葉はよい示唆を与えてくれる。
牧会あれこれ(1)賀来周一
説教雑感 牧師であって、毎週の説教作りに苦心しない人はいない。しかし、説教というものはなかなか不思議なというべきか、恐るべきというか、自分ではよくできたと思う説教は予期するほどには受けがよくなく、会衆のこころに届いていないことがある。と思え

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