「賀来周一(かく・しゅういち)」 一覧

牧会あれこれ(12)賀来周一

人は希望を失い、お先真っ暗になると、自分なりに答えを探し回る。しかし、苦難の真っただ中で、独り座す。その中でこそ、主役である状況そのものが問いかけてくるものが聞こえてくる。今どのような問題を抱えているなど、広い視野で把握することができる。

牧会あれこれ(11)賀来周一

「何もできない」、「何をしても効果はない」、「こんなことでは」と思い込んでいる時、その後ろには、「何かをしなければ」という自分が隠れている。それこそあるべき本来の自分であって、本来の自分を発見すれば、少々の困難は乗り越える力を取り戻す。

牧会あれこれ(10)賀来周一

信仰は、貧しさや困窮を通して、地上における神の働きを私たちに見せてくれる。その時、不幸は嘆きに終わることなく、究極の幸せとしての祝福へと導く。不幸を地上の不幸に終わらせることなく、不幸と信仰を通して、地上で働く神の働きにあずかる世界がある。

牧会あれこれ(9)賀来周一

教会は秩序や命令で動くところではない。効率や実績で人を見るところでもない。気持ちが優先するところである。それだけに人々は、どのような気持ちが教会の中で行き交っているかを気にする。だから、さりげない言葉や行動で人は感動したりつまずいたりする。

牧会あれこれ(8)賀来周一

ナマの人間関係を作るのに最もよい手立ては訪問伝道にあると私は考えている。裏を返せば、教会が信徒のところにやって来るのが訪問伝道であり、牧会である。信徒が教会に来るのとは逆の方向性を持った伝道牧会と言えるかもしれない。

牧会あれこれ(7)賀来周一

人生を変えることのできるものがある。それは己の決断の仕方である。そのためには、変えることができるものは何であるかを〈知る〉ことから始まる。そして、起こったことを知れば、〈耐え忍ぶ〉時が過ぎる。時間は急ぐためにあるのでなく、待つためにある。

牧会あれこれ(6)賀来周一

ある日、教会でこの婦人に話しかけている青年がいた。「信仰とは何でしょうね」。すると、「そりゃー、あーた、自分より偉(えら)かもんば持つこったい」と熊本弁での返事が聞こえてきた。言い得て然(しか)り、ポンとヒザを打ちたくなる感じがした。

牧会あれこれ(5)賀来周一

もはや治る望みはないが、信仰があれば病気が治ると信じたい。生身の人間としては、もっともな願いだ。けれども、その願いは叶(かな)わず、死がやって来る。その現実を受け入れることが恵みである。彼女はそう告白して、そのひと月後、天国へと旅立った。

牧会あれこれ(4)賀来周一

今日、教会は高齢者を多く抱えるようになった。「する、できる」ことに評価の重点を置くこの世で、「役立たず」とレッテルを貼られてまで生きていたくないのが本音である。。しかし教会は、「いること」だけをきわめて良しとする世界を持っている。

牧会あれこれ(3)賀来周一

牧師がどのように人のニーズに対応しているかを、人々は身近なところで感知する。そして、牧師が相手に誠意をもって接しているか、公平であるかなどを、言葉の端々や何気ない振る舞いの中に見て、自分自身と牧師の関係はどうなのかを自分で判断する。

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