【連載小説】月の都(17)下田ひとみ

 

紘子(ひろこ)の疑いはこのときから始まったのだった。

数蒔(かずま)が自ら志願して洗礼を受けたという事実に、紘子は心からの問いを発しないではいられなかった。

──なぜ?

それは深い、深い、問いであった。

滝江田(たきえだ)数蒔は無神論者である。神を信じず、その存在を認めていない。それが数蒔の生き方であり、死に方であるはずであった。そういう数蒔であったからこそ、紘子は惹(ひ)かれ、妻となったのである。

最初に裏切ったのは紘子であった。なぜ紘子が教会へ通い始めたのか、ついには洗礼を受け、回心してしまったのか、数蒔はついぞ妻に尋ねたことがなかった。紘子に関しては、ほかのすべてにおいてそうであったように、ただ黙認したのである。

数蒔が40歳のときに、勲(いさお)が誕生した。

数蒔は一人息子を愛したが、無神論を子供に押しつけるようなことはなかった。生来が素直な性質の勲は、母親に手を引かれて通い続けた教会で教えられたことを一途に信じた。キリスト教の信仰を身につけ、そのまま成長していったのである。そんな勲だったので、父親が無神論者であることに反発を覚えるということもなかった。かえって父を哀れみ、信仰を持つよう熱心に祈っていた。

紘子はこんな家族の中で、一人孤独であった。それはなぜか。自分が犯した罪の大きさに、日々、打ちのめされていたからである。

それは紘子を苦しめ、打ち叩(たた)き、罪責感という海で溺(おぼ)れさせた。

時に紘子はたまらなくなり、誰かに何もかも打ち明けて、そして「死にたい」と本気で願うことがあった。

しかし、それは絶対に赦(ゆる)されることではなかった。それは誰にも知られてはならない秘密であった。それを抱えた苦しみの中で生き続けることこそ、せめてもの償いであると信じていたからである。

だがそれは、つらく苦しい道であった。これほどの大罪を犯しながら教会へ通い続けることは、紘子にとって、まさに偽善そのものであった。「もう限界!」そう叫び出しそうになっていた、まさにその時、数蒔が病に倒れたのである。(つづく)

月の都(18)

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