【連載小説】月の都(21)下田ひとみ

 

一度口を開くと、止まらなくなった。ふみは前に志信に語ったことのある疑問や不満を陶子にぶつけていた。

「ごめんなさい。陶子さんが信じておられる神様に楯(たて)つくようなことを言ってしまって」

陶子がしみじみとした口調で応えた。

「私もふみさんと同じことを思いました。ふみさんと同じように、この言葉がなぜかとても引っかかったんです。合点がいかないというか、納得できないというか」

ふみには意外な気がした。

「陶子さんも?」

「はい。でも、ずっとそのことについて考えているうちに、聖書に書いてある言葉なんだから正しいことに違いないって、そう思うようになりました。それで私、考えたんです。誰でも、どんな人でも、間違いなく相手からそうしてもらいたいと望んでいること、そういうものがきっとあるに違いないって」

その言葉はふみに一条の光を与えた。

ふみはゆっくりと陶子の言葉を繰り返した。

「誰でも、どんな人でも、間違いなく相手からそうしてもらいたいと望んでいること」

「それは何だろうって」

「何なの」

「何だと思います?」

ふみは思いを巡らせた。

「自分を受け入れてもらうことかしら」

陶子の顔が輝いた。

「そう。それから?」

「信じてもらうこと」

「それから?」

「赦(ゆる)してもらうこと」

「ふみさんってすごい。みんな正解です。受け入れてもらい、信じてもらい、赦してもらうこと。ひとことで言えば」

陶子の言葉に、ふみは全身を耳にした。

「愛されることです。誰でも、どんな人でも、間違いなく相手からそうしてもらいたいと望んでいること、それは愛されることなんです」

まるで積年の謎が解けたかのようだった。

「そうだったの。じゃあ、これは『相手を愛しなさい』っていう意味の言葉なのね」

ふみの声は弾(はず)んでいた。陶子もよほど嬉しかったらしい。急に冗舌に語り始めた。

「聖書の言葉って奥が深いんです。わからなくても、わかりたいと願っていれば、わかるようになります。知識じゃなくて、体験なんです。この前の金曜日、教会の帰り道、空を見上げると満月だったので、何だか嬉しくなりました。子供みたいにスキップしながら歩いていて、ふと思ったんです。ああ、イエス様もこの月を見られたんだなあって。

最初はただそう思って感激していただけだったんですけど、ずっと眺めているうちに、ゲツセマネの園で祈られたイエス様の姿を思い出しました。イエス様が十字架におかかりになる前の夜の出来事です。

その夜も、空にはきっとこんなふうに月が出ていたことでしょう。その時の月と、いま目の前の月が同じなのだと思うと、胸がいっぱいになりました。ゲツセマネで祈られたイエス様の苦しみが伝わってくるような気がしたんです。私は立ち止まって、イエス様に感謝の祈りをささげました。そうせずにはいられなかったんです」

陶子が語る歓(よろこ)びをふみがわかったわけではなかった。ただ、ふみは、それを語った時の陶子の姿を、息を詰めて見つめていた。

小鳥のさえずりが聞こえていた。紅梅が青空に枝を伸ばし、池の中では錦鯉(にしきごい)がゆったりと泳いでいる。

縁側に座っている陶子は、光に包まれていた。それはあたかも陶子自身が光を放っているかのようだった。太陽の反射光で月が輝くように──

その姿は、舞台でふみを魅了した、まさにその人だった。

ふみが憧れていた人がそこにいた。(つづく)

月の都(22)

 






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