【連載小説】月の都(29)下田ひとみ

 

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ふみが謙作から電話を受けたのは、お披露目会の最中であった。急いでいるようだったし、くわしいことも聞けずに電話を切った。が、会が終わって、人々が引き揚げ、広い屋敷に一人になってみると、急にふみは心配になってきた。

それで、明日にも見舞いに行くつもりで、どこの病院かを尋ねようと、教会へ電話をかけてみた。

「桐原と申しますが、名倉先生はいらっしゃいますか」

年配らしい女性のかすれた声が答えた。

「いま留守にしています」

「あの……そちらの伝道師の藤崎先生が入院されたと、名倉先生からお聞きしたのですが、どちらの病院かご存じありませんか」

「藤崎先生はもう病院にはおられません」

ふみは一瞬戸惑いを覚えたが、本当にたいしたことがなくて、すぐに退院できたのだと安心した。

「ご自宅にお電話してみます。電話しても大丈夫でしょうか」

「それは……ちょっと……

「ご無理なんですか」急にふみは心配になってきた。「電話にお出になれないほど、まだお悪いんでしょうか」

「藤崎先生はお亡くなりになったんです」

返事をするのに数秒かかった。

……いま何て?」

「藤崎先生はお亡くなりになったんです」

言葉の意味を理解するのに、さらに数秒かかった。

「そんな……だって……たいしたことはないって……

「残念です……

相手が小さくつぶやいた。

 

受話器を置くと、ふみは茫然(ぼうぜん)とその場に立ち尽くした。

現実のこととは、とうてい思えない。

とても、信じられなかった。

しばらくして、ふみは奥の座敷に向かい、お披露目会のあと片づけを始めた。湯呑み茶碗を盆にのせて運ぶ。台拭きを絞って、座卓を拭く。座布団を重ねて、押し入れに片づける。まるで機械仕掛けの人形が動いているかのようだった。自分が何をしているかの自覚がまるでないままに、ふみは黙々と作業を続けた。

やがて夕間暮れの刻(とき)が行き、中庭は闇に覆われていった。灯籠(とうろう)の明かりのもと、風に吹かれた夜桜が降るように散っている。

志信が帰宅したとき、桜の花びらで中庭は一面覆われていた。

小走りで玄関に出迎えたふみは、志信を見ると、はらはらと涙をこぼした。

「陶子さん…………

あとは言葉にならなかった。

志信の胸に顔をうずめると、ふみは声を上げて泣き始めた。(つづく)

月の都(30)

 






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