【連載小説】月の都(37)下田ひとみ

 

城島信樹(のぶき)は、外資系の会社に勤めるエンジニアであった。英、仏、独と3カ国語をこなし、海外を飛び回っている。52歳を数える現在も独身で、忙しくて結婚相手を探す暇がなかったというのが本人の弁だった。教会から車でおよそ20分の、海が見えるマンションで暮らしている。謙作が城島を訪ねるのは初めてであった。

部屋は最上階の12階にあった。広々としたリビングのテラスの向こうには碧(みどり)色の海が煌(きら)めいている。ゴブラン織りのタペストリー、年代物のチェスト、扉のついた本棚が部屋を重厚に彩っていた。隅にチェロが立てかけてあった。

牧師と信徒という間柄とはいえ、相手は年上のエリートである。プライベートに向き合うと、いつものごとく謙作は緊張した。ソファーに背をまっすぐに腰かけている謙作に、城島は笑いながら「楽にしてください」と声をかけ、コーヒーを勧めた。

「城島さん、チェロを弾かれるんですか」

謙作の言葉に、城島は微笑を浮かべた。

「あれは母の形見なんです」

「お母さんの……」

「音楽家を志していたのですが、父と結婚して、あきらめたそうです。父は牧師だったんです」

城島はそう言うと、語り始めた。

「私が子供の頃は、北陸の小さな教会を牧会していましてね。伝道一本槍の人でした。家族にもきびしくて、牧師の子供は教会学校でみんなの手本にならなければいけないという考えで、子供たちは皆、そう教え込まれました。日曜日は早起きして、みんなが来る前に石炭を運んで、ストーブを点(つ)けておく。それが私の仕事でした。

教会学校が終わったら、小さな子供の手を引いて、バス停まで送っていくんです。バスが来るまで、嬉しくもないのに、にこにこ笑って待っていたものです。どこで誰が見ているかしれないからです。父の教えが刷り込まれていましたから、手本にならなければと、いつも自分に言い聞かせていました。

いま思えば、息が詰まるような生活でした。異教の行事だからと、祭りにも行かせてもらえませんでした。このことで町内会長が怒って教会へ怒鳴り込んできたこともあります。町内の子供たちはみんな、教会のクリスマス会に快く行かせるのに、お宅のお子さんたちを盆踊りに行かせないとは『了見が狭い』というわけです。

でも父は、頑(がん)として聞き入れませんでした。父には父の言い分があるのですが、こんな調子ですから、いっとき教会学校に誰もこなくなってしまって……。頑固親父で、母は父の言いなりでしたし、私たち子供は、ずいぶんつらい思いをしたものです。名倉先生のような家庭だったら良かったのにと思いますよ」

「いや、うちなんか、妻もソコツ者で……」

謙作が照れて下を向くと、城島は笑いながらテーブルのクッキーに手を伸ばした。

「実は、名倉先生をうちの教会へお迎えした時、先生の履歴書を拝見したんですが、先生は峰岸義蔵(よしぞう)牧師に洗礼を授けられたんですね。峰岸先生はうちの父と横浜神学大学で同期だったんです」

謙作は少なからず驚いて、カップを動かす手を止めた。

「そうでしたか」

「峰岸先生とは、卒業してからも親しくさせていただいていたようです。立派な方だったそうですね。父は一般の大学を卒業してすぐ献身したのですが、峰岸先生は大学卒業後、いったん社会に出られたあと、入学されたということで、父のほうが少し年下でした。非常に優秀な方で、横浜神学大学の学長まで務められましたが、現役を退かれたあとは伝道の現場で奉仕をしたいと、ご自分の家を教会にして牧会をされたと聞いています。あの父が手放しで称賛していた方です。どんな方か、会ってみたいとずっと思っていました。お亡くなりになったと聞いた時は、大変残念に思ったものです。名倉先生はいつごろ峰岸先生と知り合われたんですか」(つづく)

月の都(38)

 

 






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