【連載小説】月の都(38)下田ひとみ

 

「名倉先生はいつごろ峰岸先生と知り合われたんですか」

「ぼくが高校を卒業したての頃です」

謙作は普段、教会では「私」で通しているのだが、相手に心を許すと、自然と「ぼく」に変わる。この時もそうであった。

「その頃のぼくは、何の気力もなくしているというか、本当に、空っぽでした。生きることにヤケになっていて、どうにでもなれ、っていう気持ちでいたんです。家出をして、持ち金をすっかりなくしてしまって、途方に暮れて公園のベンチに座っていたら、声をかけられました。それが峰岸先生だったんです」

「ほう」

城島は興味深そうにソファーから身を乗り出した。

「先生の家に連れていかれ、ご飯を食べさせてもらいました。行くあてがないと知ると、泊めてくださいました。奥さんもとっても親切な方で、ぼくのことをあれこれ心配してくださって、それでそのままその家で暮らすようになったんです。峰岸先生がキリスト教界の大物だとか、奥様もアメリカの大学に留学されたことのある才媛(さいえん)だとか、そんなことはずっとあとになってから知ったことです。その頃のぼくは宗教なんかぜんぜん興味がありませんでしたし、キリスト教についても何も知りませんでした。

ぼくはその家で、しばらく何もしないで、ぼうっとして過ごしていました。先生も奥さんも何も聞きませんでしたが、そのうちに、自分のほうから話す気になり、どうして家出をしたのか、それまでのいきさつを話しました。先生方は事情を知ると、『お父さんと連絡をとって、お許しが出たら、好きなだけここに住んでいい』と言ってくださいました。それで父親に連絡をとって、和解をしたんです。

ただで住まわせてもらうのですから、庭の草取りや会堂の掃除を申し出たんですが、その時になって初めて、この家が教会で、先生が牧師だと知りました。それで礼拝に出席するようになり、こんなに親切な人たちが信じている神様だから本物だろうと思って、先生の勧めで洗礼を受けてクリスチャンになったんです」

城島が微笑して言った。

「ずいぶん素直ですね」

「単純なんです。ぼくにとって峰岸先生の言葉は絶対でしたから。献身したのも、先生ご夫妻が毎日、『献身者を与えてください』って祈っておられるのを聞いて、恩返しのつもりで決心したんです。献身するのがどういうことか、よくわかっていなくて、教会の小使いさんのような役をするのだと、勝手に思い込んでいました。ですから、先生がにこにこして神学校の案内書を持ってこられて、『どこにする?』って聞かれた時は、仰天してしまいました。

内心、大変なことになったと思ったんですが、入学するには試験に通らなければいけないとわかって、ホッとしました。今までろくに勉強なんてしたことがありませんでしたから、通るはずがないと思ったんです。先生の指導で猛勉強して試験を受けましたが、案の定、からきしできませんでした。てっきり落ちたと思っていたのに、なぜだか合格してしまって……。峰岸先生の推薦というのが大きかったのだと思います。そういうことで、ぼくのような者が牧師になってしまったんです」(つづく)

月の都(39)

 






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