【連載小説】月の都(42)下田ひとみ

 

その週の土曜日の午後に志信は自宅に紘子を招いた。

人目を気にせず、ゆっくりと語り合わねばならないと思ったので、ふみに事情を伝え、当日は家にいてもらうことにした。

その日は朝から冷たい雨が降りしきっていた。昼間なのに家の中も夕方のように暗い。ふみは応接間の明かりを点(つ)け、暖炉(だんろ)の火をおこしておいた。

紘子は約束の時間より少し遅れてやってきた。

「遅くなってしまって、申し訳ありません。タクシーで道が混んでいまして……」

「足元の悪い中を……。さあ、どうぞ、お上がりください」

紘子を応接間に案内し、志信を呼びにふみは2階に上がっていった。

雨音が家中に深々(しんしん)と響いていた。

志信が応接間に入り、紘子とソファーで向かい合っていると、ふみがお茶を運んできた。

「どうぞごゆっくり」

「ありがとうございます」

部屋を出ていくふみの後ろ姿を紘子は見送った。

「桐原さんにはお子さんがおられませんでしたね」

「はい」

「お寂しいでしょう?」

「いや、特には……」

「でも奥様は? 奥様はお寂しいんじゃありません?」

「どうでしょうか。尋ねたこともありませんし……」

紘子は眼を伏せて、言い訳をするようにいった。

「すみません。立ち入ったことを……。幸せなんて、人それぞれですのに。それに、人の幸せや不幸せは、外からではわかりませんわ。うちだって……。滝江田は、一人息子の勲を大変に可愛がっておりました。皆さん、ご存じですよね、滝江田の子煩悩(こぼんのう)は有名でしたから。でも勲は、滝江田の子供ではありませんの」

志信は不審な眼を紘子に向けた。

「これが、電話でお話しした、わたくしが桐原さんに聞いていただきたかったことです」

紘子を凝視しているうちに、言葉の意味がようやく志信に理解されてきた。

「滝江田はそのことを……?」

「滝江田には秘密にしておりました。勲の父親が誰であるかは、申し上げることができませんが、桐原さんのご存じない方です。その方自身も勲の父親が自分であるとは知りません。今ではまったくおつきあいのない方です。けれど、滝江田の死後、わたくしは、もしかしたら滝江田はそのことを知っていたのではないかと、疑うようになったんです」(つづく)

月の都(43)

 






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