【連載小説】月の都(9)下田ひとみ

 

滝江田は万事につけ一徹な男だったが、それは後に妻となった紘子に対してもそうであった。

紘子は滝江田の大学の後輩にあたる。当時、美貌(びぼう)で鳴らした紘子には、星の数ほどの信奉者がいた。しかし、並みいるライバルをものともせず、滝江田は「押しの一手」で思いを遂(と)げたのである。

紘子がキリスト教に入信したのは、結婚後10年ほど経った頃であった。滝江田はこのことを、三木や志信のようなごく親しい者にだけ打ち明けた。

「教会に行くと、楽しいらしい。子供がいないから、寂しいんだろう」

この後、滝江田夫妻は一人息子に恵まれるのだが、この時点では子供をあきらめていたようだ。

これを聞いた三木が心配して言った。

「いくら信教の自由が認められているからって、天下の無神論者たる滝江田数蒔の女房がクリスチャンじゃあ、世間様に申し訳が立たないだろう」

「惚(ほ)れた弱みさ」

滝江田は照れたように笑って言った。

それを思い出した時だった。志信の頭に、まるで奇跡のようにあることが閃(ひらめ)いたのである。それは、滝江田が洗礼を受けたと知って以来、ずっと頭に居座り、志信を苦しめ続けていた疑問に対する答えであった。

滝江田は妻のために洗礼を受けたのだ。

自分は死ぬ。この世を去る。しかし、妻はこの世に残る。そう考えた時、滝江田は、妻のために、妻が悲しまないように、夫は天国に行ったと妻が信じ、あとの余生を心安らかに暮らせるようにと心から願った。だから彼は洗礼を受けた。

そうだ。そうに違いない。

それならば納得がいく。滝江田は自分がなした仕事より、妻を選んだのである。責めも恥も覚悟の上で。妻のために、負うべきものをすべて一身に引き受けて。

そう考えれば考えるほど、それはいかにも滝江田らしいと、志信には思われた。

形だけの行為なのである。滝江田は神を信じないからこそ、洗礼を受けることができたのだ。信じていない対象に向かっての告白など、何の意味も持たないのだから。ただ残される妻ゆえに──

天国も地獄も信じなかった彼は、これで愛する妻を安心させることができたと、安堵して無に向かっていっただろう。思い残すことなく、朽(く)ちていけただろう。

「もう1本お持ちしましょうか」

ふみが空(から)の徳利(とっくり)を振って言った。

「もらおうか」

志信の心には喜びが湧いていた。

それならばわかる。

それならば許せる。

身体の隅々(すみずみ)に染み渡るように安堵(あんど)が広がっていった。

今宵(こよい)は心ゆくまで飲もうと志信は決めた。

滝江田を偲(しの)んで……

ふみが熱燗(あつかん)を持って入ってきた。

「お待たせしました」

伏し目がちの眼が潤(うる)み、頬が夕焼けを浴びたように赤らんでいる。

教会の前夜式で会った紘子の姿が浮かんできた。

黒鳥のような令夫人。しかし、その白い横顔は、氷の華にも似て冷たかった。棺(ひつぎ)に横たわる滝江田を見つめていた、飾り物のような眼。

ふみの酌(しゃく)を受けながら、志信は滝江田に向かって心の中で言った。

ふみの方が綺麗(きれい)だ。(つづく)

月の都(10)

 






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