若松英輔さん「真の文学は砕けた心から生まれる」 連続講演会「近代日本とキリスト教」

 

「明治150年」の意味を問い直す連続講演会「近代日本とキリスト教」(主催:日本キリスト教文化協会)が7月30日から8月4日にかけて教文館ウェンライトホール(東京都中央区)で開催された。2日には、若松英輔(わかまつ・えいすけ)氏が登壇し、「日本キリスト教文学の誕生──内村鑑三とその文学者たち」と題して講演を行った。

講師の若松英輔さん=2日、教文館ウェンライトホール(東京都中央区)で

若松さんは1968年生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。著書に『イエス伝』(中央公論新社、2015)、『内村鑑三──悲しみの使徒』(岩波新書、2018)などがある。精力的な執筆活動のほかに、講演会、メディアなどでも活躍する。

「宗教の世界、文学の世界という地図のようなものを私たちは知らない間に作っており、それらを越境してはいけないと思い込んでいますが、もうそこから解放されてもいいのではないでしょうか。こういうことから自由だった内村鑑三から、近代文学の大きく太い豊かな流れが生まれました。内村の周りには、正宗白鳥、武者小路実篤、志賀直哉、太宰治、有島武郎など、近代文学の担い手が集まり、また直接会わずとも深く影響を受けていたのです」

「キリスト教の霊性の基本は、語りの文学。内村も、書く人というより話す人であった」という若松さんは、この日も内村の講演録『後世への最大遺物』を通して、その文学観について明らかにした。

「内村は『源氏物語』を引き合いに出し、『文学は後世への遺物ではなくして、かえって後世への害物である』と語っています。これは、内村が単に『源氏物語』を批判しているのではありません。文学とは、人がいいというものを遠くから眺めるだけのものではなく、一人一人の人間が作り出さなければならないものだと伝えているのです」

では、私たちは何を書けばいいのだろうか。『後世への最大遺物』の中で内村はこう述べる。「私は名論卓説を聴きたいのではない。私の欲するところと社会の欲するところは、女よりは女のいうようなことを聴きたい、男よりは男のいうようなことを聴きたい、老人よりは……。それが文学です。それゆえに、ただわれわれの心のままを表白してごらんなさい。……われわれの思うままに書けばよろしいのです」

若松さんも、「誰かに読まれることを考えずに、思いのままに書けば、とてつもない素晴らしものが書ける」と言う。

「人はなぜ書くのかといえば、書くことによって、言葉たり得ないものを他者に運ぶからです。書いてあることは、その人が思っていることのごく一部分。読むことは、目に見えない言葉を探すことです。文学の本当の現場は、本の中ではなく、皆さんの心に中にある。ドフトエフスキーの本を開いたとき、心がえぐられました。それが文学です。文学を経験することが始まりであって、文学史を勉強することではありません。文学とは、我々にとってなくてはならないものです」

会場には100人以上の人が集まり、若松さんの話に耳を傾けた=2日、教文館ウェンライトホール(東京都中央区)で

続いて、内村に魅せられた作家として太宰治を取り上げ、『駆込み訴え』や『走れメロス』などから、「太宰は聖書を愛したというだけでなく、キリスト教に対する強い思いがあったのではないか」と若松さんは指摘する。「司馬遼太郎は、太宰の文学の長所として『聖なるものへのあこがれ』があると言っていますが、ここで『宗教』ではなく『聖なるもの』としていることに感心します」

終わりに、次のように締めくくった。「神が我々にささげてほしいのは、砕けた心、幼子のような心、ありのままの心なのだと『基督信徒のなぐさめ』には書かれています。真の文学もまた、そのような心から生まれるのではないでしょうか」

講演会に参加したカトリック信徒の女性は、こう感想を語った。「文学は生きた生活の中で生まれるので、感性を豊かにして、生かされていることに感謝していきたいです」

 






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